ふるさとチョイスブログ

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2018
10/05
06_トラストバンクの日常

あの時の大規模停電

お久しぶりです。

ふるさとチョイスコールセンター@上士幌 オペレーターのまるふくです。

北海道胆振東部地震から1か月が経ちます。
震災で甚大な被害に見舞われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。

かくいう私も大規模停電に遭遇した一人であります・・・幸いにも、上下水道もガスも無事でしたが。

これだけ長期間でしかも範囲の広い停電は初めてでした。

なので、体験談として皆様に何かお伝えできればと思います。

 

あの日は地震で目が覚めました。

緊急地震速報のアラームで目覚めた方がほとんどかと思いますが、私は自宅の2階が寝室で携帯電話は1階に置きっぱなしにしていたのでアラームに気づかなかったんです。

揺れだして、「あ、少し長いな・・・もう少し揺れが大きくなったら子どもたちを担いで外に出よう」と思っておりました。(築年数の古い家に住んでいるのであまりにも揺れが大きいと倒壊の危険があるからです)

構えておりましたがそこまで大きくもなく(震度4でした)、モノが落ちたり倒れたりする音もしなかったのでそのままベッドで地震がおさまるのをまちました。(子どもたちが爆睡していたのもありましたが)

揺れがおさまり、念のため1階を確認してこようと廊下に出ると・・・あれ?電気がつかない???

手探りで階段を降り、携帯電話の明かりをつけました。懐中電灯の場所は決めてあったので迷わずそこへ向かいました。が、懐中電灯兼ランタンにもなるものでしたが使い慣れていないこともありうまく明かりをつけられず・・・壊してしまいました・・・

近くに電球型のライトがあったのでそれを手に取り、まずは家の中を見回りました。もちろん何も壊れておらず一安心。そしてブレーカーが落ちたのかと見に行きましたが、落ちていない・・・。

家の裏のアパートは階段の電気はついている。(後で気づきましたが非常灯だったのかな、と)「やっぱりうちだけ?」と思いつつ外に出たら街灯がついておらず真っ暗。

念のためすぐそばを走る大きめの道路まで出ましたが、やはり信号もついていない。

仕事で夜勤中だった主人に電話をしました。

自宅から10Kmほど離れた隣町にある職場でもはやり停電中で、職場の前は国道が走っているけれどもそこの信号も見渡す限りついていない、との事。イコール『うちだけではない』。

家に戻り、タブレットでワンセグテレビをつけ始めたくらいのタイミングで自衛隊さんのヘリが飛んでいる音が聞こえてきました。

テレビをつけると絶句しました。「全道で大規模停電が起こっている。停電の原因は不明。復旧の目途はたっていない。」

身内や知人に無事かどうかの連絡を取りつつテレビを注視しているとあの映像が流れてきました。

親戚や知人はいませんが、同じ道民として心が痛む映像でした。

それから日が昇りだんだんとその被害の大きさがわかり始めました。

とりあえず知りたいのは「いつ停電が解消するか」でした。インターネットで調べても調べても原因もわからず、復旧もいつになるかわからないという情報しか入ってこず、とても不安でした。

そうこうしているうちに主人が帰宅。「午前中のうちに停電が解消しなければ(主人の)実家に避難しよう」ということになりました。

実家は農家で、外に五右衛門風呂があり、発電機もあったので入浴と多少の電気は確保できるかと。

いくら待っても、情報を収集しても、復旧の目途が立たずとのことしかわからず・・・おまけに、「携帯電話の電波塔の非常電源が今日の午前中くらいまでしか持たないから、携帯での通話もできなくなるし、もちろんインターネットも使えなくなる」という情報まで入ってきて・・・本当にアナログな生活しかできなくなるんだと覚悟しながらブレーカーを落とし、荷造りをし、冷蔵庫と冷凍庫の中身をクーラーボックスに詰められるだけ詰めて実家へ向かうため車に乗り込みました。

信号がついておらず、譲り合いの走行。大きな交差点は警察官の方が手信号で誘導しておりました。

この日の気温は27℃ほど。警察官の方々も大変なご苦労だったと思います。

いつも以上に交通量の少ない道路でしたが、みんな譲り合いのためのんびり走っている車がほとんどでした。

いつもは30~40分程で着く実家にも1時間近くかかったかと思います。

実家に着いてからはさほど不便を感じることもなく、明るいうちはちょっと遊びに来た感覚でした。

上下水道は問題ないし、発電機である程度の電力が確保できたので冷蔵庫も可動。携帯やポータブルテレビの充電も可能でした。

でも夜はやっぱり周りが真っ暗で。でも不謹慎にも、ものすごく星が綺麗で天の川や流れ星まで見えました。

結局、停電の原因と復旧の目処が立ったのは当日の夕方ごろではなかったかと思います。

翌朝、「電気がついたらしい?!」という情報がかろうじてSNSで入ってきたので近所に住む友人や役所に勤めている姉に確認。

友人宅はその日の日付が変わる前に復旧したようですが、市内全域の2割しか復旧しておらず。家にも一度帰りましたがやっぱりうちはまだでした。

でも「今日明日中には全道8割が復旧する予定」という確かな情報も得られ。電話やインターネットが使えなくなってからはもっぱらラジオでの情報収集でしたがなんとかしのぐことができました。

我が家の電気が点いたのは翌金曜日の夕方だったようです。

今回の長期かつ大規模停電で学んだことは【ある程度はアナログのものを残しておくこと】でした。

情報番組では、「テレビが見られない方はインターネットテレビやインターネットラジオがあります!」としきりに報道されていましたが、肝心の携帯電話の電波が届かず使えなくなってしまったので、あまり役には立ちませんでした。

役に立ったものは

・発電機(ガソリンで動くタイプのもの)

・アナログの電話。通話しかできないシンプルなタイプ。(これだけは通じていたので年配の身内との連絡が取れ安否確認ができました)

・電池で動くラジオやラジカセ(実家にあってよかった)

・五右衛門風呂(薪でお風呂を炊きました)

・懐中電灯代わりになる明かり(身近に置いておき、普段から手にしていたほうが良いかと。)

オール電化のお家などは結構苦労したようです。カセットコンロが役立ったと言っていました。

そのためか、かろうじて営業していたスーパーやコンビニでは真っ先にカセットガスと電池がなくなったようです。

炊飯器が使えなかったのでほとんどの人は初めて土鍋でご飯を炊いたと言っていたので、月に1度くらいは土鍋でご飯を炊いてみてもいいのかもしれません。(ちなみにうちは炊飯専用の土鍋をつかっているのでここは心配いらずでした)

冷蔵庫や冷凍庫ですが、ドアの開け閉めさえしなければ徐々に温度は下がるものの、丸1日くらいはなんとかなるようです。うちはまる2日電気を入れていなかったのでナマモノや冷凍してあったお肉や魚は処分しました。

またいつ震災や停電があるかわかりません。帰ってからはまず自分の動線に明かりのつくものを配置しました。そして冷蔵庫と冷凍庫の整理。買い出しに行っても、パン・冷凍食品・乳製品や豆腐製品などは売り切れていて入荷もしていませんでしたが、土曜日の午後には少しだけ店頭にありました。

あと身近で大変だったのは酪農家さんではないでしょうか。停電のため牛乳を絞るための機械が動かなかったり(絞ってあげないと病気になってしまいます)絞っても冷やす機械が動かないので牛乳を破棄せざるを得なかったり。ところによっては牛たちに水をあげることもままならなかったと耳にしました。牛が水分不足になると牛乳の成分に大きく関わり、味も変わります。実際、酪農家を回り、牛乳関連の機械の整備を仕事としている義兄は地震発生日の夜は帰ってこられなかったそうです。酪農家の方々も甚大な被害を受けたことと思います。

それと、SNSが普及しているせいかデマ情報もよく流れました。「断水する」とか、「役所で携帯の充電ができる」とか。自分で各所の公式発表を確認しないとなりませんね。

以上が今回の停電で私が体験したこと・感じたことです。一日も早い復興と亡くなった方々のご冥福をお祈りすることしかできない自分が歯がゆいですが、チーム北海道としてできることはやっていこうと思います。

そして、ふるさと納税を活用した「北海道胆振東部地震」への寄附は、現時点で3億を超えています。
また、全国の皆さまからの温かいメッセージに励まされています。ありがとうございます。

▼「北海道胆振東部地震」への支援ページ
https://www.furusato-tax.jp/saigai/filter?category_id[]=941

 

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